これって、営業方法のひとつなんだよね。と連れてこられた裏口で頭を抱える。
それにしては、さっきの真剣な瞳はなんだったんだろう。ちらちらと頭の中で彼の表情が離れない。
もしも、さっきのホストが薬を所持していた場合、迷わず手錠をかける覚悟もある。
こんな汚い裏口の壁に、寄りかかるなんて普通の女の子はしないだろうけど、寄りかかるだけじゃなく、ずるずるとへたれこんでしまいたかった。
なんだか本来ここに来た理由を忘れてしまいそうになっていた。

私は、麻取であって、ここには、ここのナンバーワンホストが売人かどうかを調べにきただけ。
そう、自分の仕事をしにきた。ホストと恋愛ごっこをしにきたわけじゃない。
自分の任務が最優先。一番やらなきゃならないこと。
“珍しいもの”と言ったことに随分と食いついてきた。ってことは何かを確認したかったんだろうか。あー、これは黒かな。
そのあと向こうからアフター誘ってきたっていうのも怪しいといえば怪しい。
はー、とため息をひとつ。気を引き締めて、行かないと。
裏口にいるんだ、山崎や総悟、副課長の土方になんかなおさら連絡なんて入れられるはずもなく。メールでさえも打っている最中に見られたらおしまいだと思って、鞄の中から携帯を出そうとも思わない。
あー、もう、どんだけびくびくしてるんだよ、私。
はーーーーーー、と長いため息と同時に項垂れた。
とりあえず、録音機のスイッチだけでも入れておこうと鞄に手を突っ込んでガサガサとあさる。
あ、あったあった。
カチ、と鞄の中でスイッチを入れたのと同時に、


カチャリ、と裏口のドアノブが回った音がして、


「やっほー、さん。」

ヘルプとして相手をしてくれたホストの子が顔を出した。名前なんだっけ…。
何でこの人が裏口から出てくるんだ? 裏口で待ってていう会話をする前にはもうテーブルから離れていったはず。
あぁ、もしかして二人でグルとか、そういうのなんだろうか。

さんが言ってた珍しいものってこのお菓子のことでしょ?」

まるでニコリという擬態語を出したかのように笑う目の前のホストの青年。
ゾクリと背筋を駆け上がる悪寒と共に、ドックンと心臓が歓喜の音を立てる。



見 つ け た 。



ドアから覗かせた顔の前で、彼がふりふりと振る、袋に入っているのは、紛れもなく、
私たちが、半年、必死になって追い回していた、中国産の麻薬。
それは通称「お菓子」や「ドロップ」と呼ばれていて、砂糖と混ざり合わせて作ったソレは、飴のような形をしていて半透明な粒状をしている。
仕事上、なんども見てきたソレを、間違えるはずがない。

「すごくびっくり。君が持ってたの?」
「うん。まあね。1パケ5千円だよ。買う?」
「ええ。私はてっきり、キントキさんが売ってるもんだと思っていたけれど、まさか君だったんだ。」
「あれね。さんが持ってきた名刺、本物のキントキさんの名詞とは違うんだよね。」
「そうなの?」
「うん。」

早く、そのドアから出て来い。
慎重に、慎重に、と背筋に汗が流れる感覚が、妙にリアルに感じる。
会話は録音している、ブツは彼が持っている。現行犯で手錠をかけることができる。
だから、早く、早く、店の中から出て来い。

「そう、受付のボーイさんにね。あの名詞を渡してきたら俺にヘルプを回してくれるように頼んであるんだよ。」
「なるほどね、万が一警察にでもバレたら、キントキさんのせいにすればいいってこと。」
「お姉さん頭良いね。」

頭いいってそういう問題じゃないっつの。バレそうになったら人のせい、か。
つくづく、人間としての感性を疑うよ、本当。薬に走る人間の考え方なんて、分りたくもない。

「それで?売ってくれるの?」
「いいよ、どれくらい?」
「10。」
「じゃあ5万ね。」

ドアから出てきた。
ポケットをあさって、さっきの薬の入った袋を取り出す。
私は鞄の中から財布を取り出す。土方から渡されていたお金を確認する。
全身の毛が逆立つような妙な感覚。
半年、この出所を掴むのに半年かかった。やっと、やっと…。



「みーっちゃった、みっちゃった。」



ブツを渡そうとこっちへ歩いてきていたホストの足が止まる。私の肩が跳ねる。
心臓が喉から飛び出してしまいそうなほど跳ねた、奇妙な感覚。バクバクバクバクと跳ねるのを止めない。
しまった、もう少し、だったのに。タイミング悪い。

「キン、トキさん。」

さっきまで優勢な体制をとっていた売人のホストは、か細い声で鳴くように彼の名前を呼ぶ。
ああなるほど、いつも土方が頭を抱えてるのだ、ちょっと分った気がする。
ボイスレコーダーじゃなくて、無線機とかだったら良かったのかもしれない…。

「お前、俺の名前使ってそんなことしてたわけ。」
「…っ、そーですよ。コレ、お金になるんです。キントキさんもどうですか?あなたなら
「で?さんはそれを買いに来た薬中ってこと。」

売人の言葉をさえぎって、金髪のナンバーワンホストは私のほうを向く。
断じて違います。なんて言ってしまえる状況じゃない。くそっ、んなわけないだろ。
目は口ほどにものを言うという言葉を信じて、日とにらみしてやろうと金髪に視線を合わせる。



なんだか、すごく傷ついたような、そんな顔が、見えて、



頭で考える前に、体が動いた。
何故か分らないけど、誤解を解きたくて、金髪のほうへと1歩2歩、足が踏み出た。
違う、不順な動機で貴方を指名したのは本当だけど、でも、あの時言った言葉は嘘じゃない。
3歩目を、走り出すように踏み込んだ瞬間に、

「ぅぐっ…っ!!」

首に何かが巻きついて、私の動きを静止させた。
踏み出した勢いで、首が絞まる。苦しい、と思った次に、背中に人の体温を感じて、状況を把握する。
後ろには、売人。目の前には金髪。首に絡まる売人の腕。

人質に、とられた…?


「…っ……。」

売人のこの男を睨みつける。ふざけんな。
この体制からなら、この華奢な男一人くらい投げ飛ばすことくらい、普段はできる。

できる、だけど。
首に食い込む腕が、呼吸をするのを邪魔をして、体制が取れない。

「何する気だよ、お前。」
「キントキさんに、お願いがあって。」
「なら、そんなことする必要ねーだろ。放してやれよ。」
「嫌ですよ。なんかキントキさん、この人のこと気に入っているみだいだし。」

首を締め上げられている腕に爪を立てる。チッと舌打ちをされて、さらに腕に力をこめられた。
足が、地面から少し浮かぶ。本格的に首がしまってきて、足をバタつかせる事しかできない。

「オーナーには黙っておいて貰えますよね?もちろん。」
「さあな。」
「約束してくれないと、この人、この場で殺しますよ。大事なお客さんなんでしょ?」
「…好きにしろよ。薬中の客なんざとりたくねぇ。」

薬中じゃねぇー!
ああ、もうこりゃ絶望的だな。私死ぬわ。殺されること決定。だってもう、前がかすんで見えなくなってきてる。
空気を取り込もうと必死にあけた口から、つー、と唾液が流れる。
腕に力が入らなくなってきて、だらん、と首をつられたまま腕を放り出した。

ガシャン、と音がして、肩にかけていた鞄が落ちたことに気がつく。
ああ、鞄の中に手錠もチャカも麻取の手帳も、被疑者だった金髪の写真も、全部、入れておいたんだっけ。本来は、身に着けておかなきゃならないものも、接近するからと思って…。
霞んだ視界で微かに、鞄から手錠が飛び出しているのを、見た。



しまった。



「んのアマ!!察だったのかよ!?」

ああ、そうだよ!!てめぇと、一緒にすんじゃねぇや!!
このままてめぇなんぞに殺されてたまるか、と最後の力を振り絞って右足を振り上げて、後ろに蹴り上げた。
いいところにクリーンヒットしたらしく、首から腕が離れる。

自分の体が前に倒れていくのを、妙にスローモーションに感じる。

と、となりを金色の風が通り抜けていく。怒りと煌きと灯した紅い瞳と一瞬目があう。

「ガッ!!」


後ろから人を殴るときの音と共に、さっきの売人の短い悲鳴が聞こえる。

ああ、金髪が殴ったのか。と、もうすぐ地面と顔が激突するであろう視界で考える。

ここ、コンクリートだから痛いだろうな、なんて意外と冷静な頭に、ハッと嘲笑いを送った時。

ガシッとでもいうような勢いで、すんでのところで、暖かい腕に、後ろから抱きとめられた。

その1秒後に、ゴッ、という音が聞こえて、売人の短い悲鳴がまた聞こえる。

そしてそれが殴られた勢いを殺せず、店のコンクリートの壁に頭をぶつけて失神した音だと気づいたのはその後のことだけれど。


「大丈夫?」
「っ、っげほごほごほっ…。」

肺が空気を取り戻して、思いっきり咳き込む。
せっかく、抱きとめて貰ったのに、足に力が入らなくてその場にヘタれこんでしまった。
キントキ?さん、はわざわざ私の隣にしゃがみこんで、背中をさすってくれる。
だいぶ落ち着いてきて、ぐいっ、とさっき口からたれた唾液のあとを腕でぬぐう。

さんって、麻取だったんだ…。」
「え?…ああ、うん。」

地面にばら撒いた鞄の中身から、麻取の手帳を拾い上げて、開く金髪。
はぁ、と大きく息を吐いて立ち上がった私に、手錠をホイ、と投げてきた。
パシッ、とそれを受け取る。

「ありがと。ってか、よくわかったね。」

次にとる行動を。という意味で聞くと、なんとなく、と返ってきた。
白めを剥いて横たわる売人のホストの上半身を起き上がらせて、後ろに手を回しガシャンと手錠を落す。
しばらくは起きないだろうし、これで大丈夫だろ。後は副課長に連絡を入れるだけ。

「なぁ。」
「ん?」

コンクリートの壁に寄りかかって、一通り手錠をかけるのを見ていた金髪を、しゃがんだ状態から見上げる。

さんが言ってた“珍しいもの”って、コレのことだったんだ…。」

そういって、金髪が指をさすのは、例のお菓子と呼ばれたブツ。今は無残に、コンクリートの地面に転がっている。
首を絞められる直前に見た彼の、あの表情を思い出した。
なんであんな行動をとったか、自分でも良くわかっていない。だけど、あの時言おうと思った言葉が胸から、口へと移動して、空気にのった。

「そうだけど。でも、後から言ったアレも、嘘じゃないよ。」

え?っと、金髪の視線が降り注ぐ。なんか必要以上に見下ろされてるのに、む、ときたけれど、言葉は続いた。

「だって、なんか第一印象がそんな感じだったから、とっさに口からでてきたし。」

散らばった荷物を鞄の中に押し込めながら、携帯を拾って立ち上がる。
返事がないな、と思いつつ、まぁ、無理に答える会話でもなかったな、とも思う。
ピ、ピ、と土方の携帯番号を表示させて、通話ボタンを押す前に、金髪の表情をチラっと伺ったら、
何故か、耳まで顔を真っ赤にして、手で口と鼻を覆っていた。

え。なに…? ありえねー。

ドン引きした拍子に、ピ、と通話のボタンを押してしまったらしく、プルルルルルとなるコール音。

―もしもし?

と携帯から土方の声が聞こえて、慌てて耳に押し付けて状況を伝えた。
すぐ行く、の後にブチと土方が電話を切って、私も耳から携帯を話通話終了ボタンを押す。

「えーと、金時さん?…だよね。悪いんだけど、事情聴取付き合ってほし
「金時。金時って呼んで。」
「……え、いや、あの、近い近い。」

話しかけたとたんに、ずい、と顔が近くなる。なんか後ろに炎が見えるんだけど…、ちょ、こわいこわいこわい。なんか妙な迫力があるよ、この人。

「あのさ、厚生労働省?だっけ、なんかそういうところに行けばさんに会える?」
「…ちょっと、まって、何言って?」
「わかんない?」
「わかんない。」
さんのこと、口説いてんの。」

やけに顔が近くなって、ニヤリ、と嫌な笑みが見えた。

けど、次の瞬間には伏せられた長い金色の睫毛でいっぱいになった視界と、唇に、同じやわらかい感触が伝わってきて、何がなんだかわからなくなった。
ペロ、と唇を舐められて、驚いて少し口を開いたら、その隙間から舌が入ってきた。
水音がする。こんなキス、したことなかったかもしれない。男性経験なんて皆無な私に、こんな深いキスされた覚えはない。
だんだん足に力が入らなくなって、金髪の服を掴むけど、そのまま、ずるずると体の力が抜けていく。
頭の後ろと腕の拘束が、力の入らない私の唯一の支えで。

やっと、やっと、唇を放して貰った。そして、ずるずる地面にしゃがみこむ私。

「…っ、なに、して…。」
「何って、ディープキ
「ぎゃああああ、言うなああ!!」

私の目線と同じ高さで話をするべくしゃがみこんだ金髪の口を塞ぐ。
つーか、何で私にキスなんて。だってもう、客ってわけじゃないし。なんだ?客にしたいってことか?あー、麻取なんて落せたら面白そうだもんな。
ぐるぐる、考えが頭の中を回る。

「ぅを!?」

ぺろ、と猫のように手のひらを舐められて引き戻された。
って、

「何すんじゃああ!?」

慌てて手を引き戻す。けど、それを逆に手首を取られて、胸の中に引っ張られてしまった。
トン、と程よい筋肉の感触。服越しにも聞こえる心臓の音。
後頭部をやんわり抑えられて、直接心臓の音が脳内へ入ってくるような、変な感覚がする。
うー、こっちまで、ドキドキしてくる。

「俺、さんに本気かも。」

照れたような、それでもってすごく色気のある声が上から聞こえてきて、
きっと、私の顔も真っ赤に染まってんだろうな、なんてぼんやり思った。














「大丈夫か、お前。」
「あー、まぁ。」
「大丈夫そうだな。」

サイレンの音が近づいてきて、あのまま固まっているわけにもいかず。
私は金髪がノックアウトした容疑者を一応見張っている間、金髪はオーナーとやらに話をしに行った。
近くに車をとめて、土方。総悟。山崎。と走ってきた。店の経営のも関わるから、と配慮して、裏路地から走ってやってきたらしい。
ホストクラブのオーナーさんは、美人で可愛くてナイスボディで、女の私でさえもなんかよだれが出そうな人だった。その抱えている白いワンコになりたいですっていう男の子の気持ちがなんとなーくわかった気がした。

さんさん。番号教えて。」

まぁ、それより問題はこの金髪なんですけども。
なんだか犬耳とか尻尾だとかが見えてきそうなほど、懐かれてしまったというか…。
気安く人の肩に手を回して後ろから抱きつくなと、言いたい。

「ぶっ…。」

副課長が噴出す。私の頬がピクッと揺れる。
笑ってねえで、助けろよ。恨めしく睨みあげると、笑いをこらえて小刻みに震えてやがった。
今すぐにでも、目の前の上司を殴りたいのを抑えて、金髪にと振り返る。




「そんなに知りたきゃ、こんどこっちまで顔出してください。」




もちろん、事情聴取として、ですが。
続けた言葉が果たしてこいつの耳に入っていたかどうかなんて知る由もなく。
この1日後。私は何故そんなことを言ってしまったのだろうか、後悔することになる。









<no title> 1.0

(歌舞伎町ナンバーワンホストの恋物語)
(天然ヒロインと百戦錬磨の男の戦いが今、始まる)