長い長い列に並びながら、マフラーに顔を埋めて白い息を吐く。 あぁ、手袋もしてくればよかったなぁ。と、ポケットの中に入れてきた財布を握り締めながら思う。 少しずつ少しずつ、前へと進んでいく参拝客の列の中に埋もれて、若干猫背になりながら、今年は何をお願いしようかな、とくだらないことを考える。 どうせそれをかなえるのは自分自身だとわかっているけれども、ついつい毎年の行事の一つとしてやってしまうこと。 今年はこういう風な一年にするぞ、という自分への誓いの1つなんだろうか。まぁ、でもそんな誓いっていうほどのもんじゃなく、だといいなー、で終わるものだけど。 一歩だけ前に進んだ列に合わせて足を出しながら、ぼんやりと、ぼんやりと考えた。 いつもより少しだけ多めにお年玉が貰えますように? ははは、ありえない。 今年のお雑煮の中に三つ葉が入っていませんように? …どーしても食えないんだよなぁ、アレ。 絵のうまい知り合いから、好きなキャラの年賀状が届きますように? もう強請ったな、コレ。 あ〜、第一志望の学校へ合格しますように? まぁ、そんなんが妥当なところだろうか。 ………、どれもいまいちしっくりこないことをわかっている。 ひゅ、と頬を風がかすめて、寒さに身を縮めるついでに瞳を閉じた。 ちらちらと、脳内をかすめる銀髪。 しわしわによれた白衣、だらけたネクタイ。 やる気のない低い声。 じんわりと、胸にともる熱。 「………寒っ…。」 コートの中にまで風が入ってきて、身をさらに縮めた。 いつの間にか、後少し、というところまで進んでいて、慌ててポケットの中の財布からお賽銭を取り出す。 前列の人が散っていって、私はお賽銭箱に小銭を投げつけた。 今年、は、 一年のなんとかは元旦がどうとかこうとか よりにもよって、なんて虚しい願掛けをしたんだ。と照れくさくなって目を泳がせる。 おみくじを引くのは、また後で神楽ちゃんたちと来たときにしよう。お守りも、そのときに買おう。 日付けが変わってすぐに参拝にきたがる変わり者は、私だけじゃなく、思った以上に人がいたけれど。 さぁ、家に帰って残りの課題を終わらせてしまおう。なんたって、私も受験生の一人なんだから。 でも、ちょっとくらいは何か買って食べたいなぁ…。 神社の脇にずらりと並んだ屋台を見渡す。さっきからお腹が音を立てているのは気のせいじゃない。目が泳ぐ。 焼きとうもろこし…、すこしくどい。やきそば…、たこやき…、はなんか違う。りんご飴とか綿飴とかチョコバナナ系統にするか、と視線をさらに泳がせた。 白くて、ふわふわしたものを視線が捕らえる。 思わず目を見開いた。 いやいやいやいや、あれは違うよ。きっと綿飴を頭にのせたおっさんがいるんだ。きっと。違う違う。先生なんかじゃ、絶対ない。 なんかりんご飴の屋台の前でギャーギャー騒いでいるけれど、絶対違う。ただの綿飴を頭に載せたおっさんだ。うん。 いや、もうそれ、先生じゃん。銀八先生じゃん。 「まあああじでえええええええ!?」 叫んでしまってから、ハッとする。しまった、と思ったときにはもう遅い。 周りの人の視線は、すでに私に痛いほど突き刺さっている。そして反射的に指をさしてしまった先生にもとばっちりはいっていた。 驚いて目が点になった我らが担任坂田銀八。しまった、コイツの思考回路が戻る前に逃げなければ、何か、確実に何かされる。 だ、と足を踏み切ってとりあえず人気のないところまで逃げてしまおうと走り出した。 「ちゃーん。」 わずか数歩しか動いていないのに、簡単に腕をつかまれて、振り向いた。 スゴゴゴゴゴ、と微妙に背後になんかこう、黒いものを背負っている先生の気迫に後ずさる。 って、いうか、 「テレポーテーション!?」 獲物を見つけた、とニヤリ笑う先生の顔が、悪い意味で忘れられなくなった。 そのままぐいぐいと、さっきまで先生がいた屋台のところへ引っ張っていかれる。まわりの注目するような視線はもうない。 わけもわからず、目を剥いていると、ニッターと嫌な笑みを満開にして先生は言った。 「奢って。」 そりゃあ、もうってくらい大きなハートを語尾につけて。 「先生には、プライドってないんですか?」 「プライドって、何に対してのプライドのことですかー?」 「生徒に奢って貰うっていうことに対してです。」 「ねぇな。先生には、そんなちっぽけなプライド。」 「あー、そうですねー、糖分が先生のすべてですもんねー。天パと。」 「おーいコラ。の成績さげんぞコラ。」 「やれるもんならやってみろー、職権乱用教師―。」 「おうおういいのかー?そんなこと言ってー、俺ぁ知ってんだぞ?今の成績のままじゃ、が希望してる大学受かるかどうかわかんねーの。」 そうですねー、とぼんやり返答を返すと、なんだお前いいのかそんなんでー。と教師らしい答えが返ってきた。 先生は私に視線をおかずに、道行く人をぼんやりと見つめて、さっき人に買わせたリンゴ飴を美味しそうに食べている。 「っつーか、は食わねぇの?」 「………夜食にしようと思って。」 「ほおー、年始から頑張るねぇ。」 「先生が言ったとおり、今の成績じゃ入れませんからねー…。ッケ。」 「おいなんだ最後の。喧嘩売ってる?今なら先生通常の三割増で買っちゃうよコノヤロー。」 「リンゴ飴買ってあげたの、私なんですけどー。」 「の現国の成績を握っているのは先生なんですけどー。」 「生徒恐喝して楽しいですか。不良教師。」 おめぇ、ホントに喧嘩うってんだろ?と頬をピクピクさせながら人を睨む先生の視線を背中に感じながら、私はそっぽを向いて話す。 どかっとベンチの後ろに手を回して座る先生とは対照的に、私は背中をまるめて比較的小さくなって座っているから、表情は見えないけれど、なんとなく声のトーンで表情がわかる。 あーあ、こりゃ重症だなぁ。 はぁー、と長く大きなため息を1つ。 何が悲しくて新年早々ため息なんぞ吐かなきゃならないんだろう。しかも日付けが変わってまだ一時間くらいしか経ってないんだけどなぁ…。 「何なの。お前ホント今日何なの。何でそんなに喧嘩ごしなの。」 ため息を挑発ととったらしい。先生の声が微妙に困惑してきた。焦ってる焦ってる。 あーもー何。そんなにリンゴ飴奢らせたの怒ってんの。しゃーねーな。学校始まったら返してやっから…、とぶつぶつとなりで先生がしゃべっている。 もうあんまりにもぶつぶつ言い過ぎて、途中から聞く気をなくしてしまった私はボケーっと道行く人たちを見ていることにする。 あぁ、しまった。昨日から寝ていないから、眠たくなってきた。先生の声が子守唄に聞こえてくる。先生の声だからこそ、余計に安心して、しまう。 この声を、ずっと聞いていたい。 「!!」 「――っ!?」 いきなり肩を掴まれて、眠たくて薄れていた意識を引っ張り出される。すごく驚いて、体がビクっと大きく跳ねた。 無理やり体の向きを変えられ、目の前にある先生の顔が、バツが悪そうに困った顔をして、ワリィ、と誤られた。私はあんまりにも心臓がバクバク言い過ぎて口を金魚みたいにパクパクさせるしかできない。情けない。 きっと、あんまりにもびっくりしすぎて、目も点な状態なんだろうな。これ。 「深呼吸だ深呼吸。ほら、ひーひーふー、ひーひーふー。」 いや、それ違うし。先生違うし。って先生が必死になってそれやったってしょうがないでしょ。 なんて冷静に考えてるけれど、実はそれどころじゃなくて、先生に言われたとおり、大きく空気を吸い込んで吐いた。それを何回か繰り返して、やっと落ち着いてきた。けど、まだ心臓は激しく動いている。ああもうこれは、どっちの意味で動いているのかわからない。 「びっくりしたー。」 「おまっ、俺のほうがびっくりしたわ。アホ。」 す、と先生の手が私のほうへ近づいてきて、叩かれるのかと思って、うっ、と身を縮ませる。 すると先生はちょっと困ったような顔して、私の頬に手を添えて、いつのまにたまったんだろう、きっとあんまりにもびっくりしすぎて軽い呼吸困難になったときにだろうけど、たまった涙をそっと拭ってくれた。 そんな行動にまた私は軽く驚く。あー、もー、これ絶対に壊れたな。と思うくらいのスピードで心臓が走り出した。 あーあー、先生がそんなに優しく人に触るから、我慢してたものがいっきにあふれ出したように涙が溢れる。 今度は先生がぎょっと目を見開いて慌てた。 「なんで…、 「ちょっ、。どした?おい…。」 「なんで、私だけ…、クラスから、外されちゃったんですか…?」 そうなんだ。ずっと、ずっと、去年の4月から思ってきたこと。 あのヘンテコな仲間でわいわい騒いで、締りのないクラスで、ボケーっと先生を眺めていることが、先生が、好きだったのに。 どうして、私だけ3年から、Z組を外されたんですか。 Z組にいたら、きっとこんなに受験のことで悩むなんてなかったのに。こんな難しい大学受けろなんて言われなかったのに。 涙が、ぽろぽろ頬をすべり落ちていって、それでも私は先生から目を離さずにいて、先生はそれを困ったような驚いたような微妙な顔を浮かべていて、でも私の話をしっかり聞いていてくれて、続きを促すようにだまって聞いててくれて、 「私だって、先生の、銀八先生のクラスで、皆とわいわい騒ぎたかった…。」 「先生の授業はいつも授業になんかなってなかったけど、でも、私はそれが楽しかった。」 「クラスが分かれたから、それでバイバイってわけじゃなかったけど、でも、私はZ組の皆と一緒に居たかった。」 「先生の、銀八先生の、坂田銀八先生のクラスの一員で居たかった…!」 最後まで言い切る前に俯いてしまった私の顔から、先生の手が離れていって、その手で先生は困ったように髪の毛をかいた。ぼりぼり聞こえる。 あーあ、新年から何やってるんだろう、私。 「あー、あのな、。」 「…はい。」 ずびー、っと鼻をすすって、顔を上げた。 とたんにああ、顔なんて上げなきゃ良かった、と思った。 目の前の先生の顔が、酷く歪んでいて、次に来る言葉がわかってしまった。 「ごめんな。」 ほら、きた。 「が、他の組に行くように言ったの、先生なんだわ。」 ぶわ、っとまた涙が溢れ出した。なんともいえなくなった絶望感で、目の前が真っ暗になった。 そうか、私は、先生に、はぶかれたんだ。 それなら、こんな先生にすがるように泣き出してしまった私はどんなに、うざったい奴なんだろう。こんなこと、苦手な子にされたら、どんなに嫌なもんか。気持ち悪いものか。それをまだ先生は顔にも態度にも出さないぶん、大人なんだ。 ごめんなさい、先生。こんなこと先生に言うべきじゃなかったんだね。 あーあ、あーあ、あーあ、終わっちゃった。今年はまだ始まってほんの少ししか経っていないのに。 この場からいなくなりたくって、早く家に帰ってぐちゃぐちゃな頭を、勉強のほうへ切り替えたくて、ベンチから立ち上がろうと足に力を入れた。 でも、それは先生に、ぐっと腕を掴まれて、立ち去るどころか、立ち上がることもできなかった。 「やだぁ…っ!はなしてっ…。」 掴まれた腕を、また強い力で引っ張られて、ぎゅっと先生の腕の中に閉じ込められてしまう。 なんで、なんで、なんでなんでなんで。 「。最後まで聞けって。」 「何で、嫌だ、聞きたくない、嫌だ先生嫌だ。」 もうそれ以上その口から、絶望的な言葉を言わないで。 もういいんだ、すっぱりきっぱり先生のこと忘れるから。 放して、と腕の中で精一杯暴れた。 「ちょっ、痛い痛い痛い!痛いっ!!」 ぎゃーーっと人の気なんて知らないで叫ぶ先生の腕の中で、本気で暴れた。 はたから見たら、この光景はどう写るんだろう。考えたくもなかった。 「ったく、コノヤロー…………。」 どんどんどんどん、と胸板を叩いていた腕を逆に掴まれて、痛いくらいに両腕を先生の両手で押さえつけられた。その後は、瞬間的だった気がする。 瞬きをするひまもなく、先生の顔が一瞬で近づいて、講義しようとおもって開いた口まで、先生の、それで塞がれてしまった。 ………訳がわからない。だって、先生が私のことZ組から外したんでしょう? 「俺だってな、曲がりなりにも教師なんだよ。」 「生徒に手なんか出してみろ、教師失格以外に何もねーだろ。」 「第一、が俺のこと好きなんてことありえねーと思ってたし?」 「だけどな、お前自覚なしに人のこと誘ってくるから、もうもたねぇと思ったんだよ。」 「先生は、のことが好きです。これで満足したかコノヤロー。」 もう、涙なんか引っ込んでしまって、 普通なら、真剣な場面で言うようなことを、おっちゃらけた口調で言ってのけた先生に、先生らしいなぁ、なんて場違いなことを考えつつ、真っ赤に染まっていく先生の顔を見ながら、私は、今、何を言うべきなんだろうか、と今更ながらに真剣に考えた。 「満足ですよコノヤロー。」 ぼそっと口から出てきた言葉は、何故か喧嘩口調だったけれど。 今まで胸を締めていたものは、とたんに何か温かいものにかわっていって、 「私も、先生が好きです。」
その後。卒業まではお互い必死になって隠し通そうと約束して。 |