もうすぐ7月に突入する蒸し暑い時期。
そんな中途半端な時期に転入生がやってくるらしい。しかも俺の受け持ちであるZ組に。めんどくさいことこのうえねーっつーの。
聞いた瞬間思わずちぎった触覚を片手に持っていたことを思い出して、タバコに火をつけるついでに火をつける。
変な臭いがしてきたので、なるべく遠くに投げた。
屋上のフェンスによりかかって、肺にたまった煙を吹き出す。煙はとぐろを巻きながら上へ上へと消えていく。
その転入生とやらのおかげで、俺は貴重な放課後の時間が削られることになった。
クラスに入るのは明日から。その前に学校内を見学したいらしい。
そいつが来たら呼び出しがかかるだろーから、この屋上で一人、貴重な放課後を過ごすことにした。
手のかかる可愛いバカどもから解放されるSHRを終えてから職員会議までの空き時間。屋上の鍵のスペアを持っていることを、誰も知らないことをいいことに、この時間帯のここは、俺一人だけの至福な場所になっていた。
そういえば俺は、学生時代からなにかと屋上で過ごすことが多かったな、ともうずいぶん昔のことを頭に浮かべ、煙を吸う。

『銀八ィィィィイイ!!急いで職員室にきなァァァァアア!!!』

とたん、学校内に響く怒号。ったく、もううわさの転入生ちゃんのオデマシか。
吸いかけのタバコを地面に捨ててサンダルで火を消す。煙はすぐに消えることなく、そこからしばらく上へと昇っていく。
パコンパコンとサンダルで音を立てながら、屋上から中へ入るべく、ドアに近づいた。
ドアノブを回そうとして、額に激痛が走って、思わずその場にしゃがみこむ。
文句の一つや二つ、言ってやろうとして額に当てていた手をどけて睨みあげると、うちの制服をきた見知らぬ生徒が一人、目を見開いてこっちを見ていた。それに一瞬、こっちがおどろいて、目を見開く。なんだ、このデジャブ感。前にもこんなことがあったっけか。
とりあえず、立ち上がって、聞きたかったことを聞く。

「えーと、転入生ちゃん?」
「………………転入生ちゃんです。」

くしゃり、と笑顔がこぼれた。
どこかで見たようなその笑顔は、とくに抵抗もないまま胸にすんなり入っていく。

「んじゃ、今から校舎案内するから。」
「はい。」

凛とした声が俺の中にしみ込む。どうして初対面の子にこれほど抵抗がないんだ?
過去にどこかで会ってるとか、誰かに似ているかしてんのか。
それにしても、

「なんで屋上にいるってわかったの?」
「えーと……、私も屋上でさぼろっかなーって。」
「おいおい、仮にも受験生がさぼろっかなーですか、いい度胸だなコノヤロー。」
「先生だって、屋上でさぼってたじゃないですか。」
「俺はいーの。」
「良くないですよ、ずるい。」
「ずるくなーい、教師の特権。」

そのあと、気だるげに校内の説明をしながら案内をする俺の後ろを、転入生のは文句を言うことなくついてきた。時々うつ”わかりました。”や”はい”などの相内は、いかにも優等生という感じで、それでもどこか柔らかい雰囲気を残して。俺はこの感じをどこかで知っている気がしてたまらなかった。



次の日。黒板前での自己紹介が終わったに、”彼女はいますか!?”だの”一緒に土方さんを殺しませんかィ”と質問が飛び交ったが、一つ一つ丁寧に答えていくコイツはやっぱり優等生なんだ、と。そんなやつが何でこのZ組に入れられたのか不思議に思った。

「じゃあ、ホームルーム終わりにすっから各自テキトーに時間つぶすよーに。」

そう言ったとたんに、の机の回りに生徒たちが溢れ変える。
その中心で柔らかい笑顔を浮かべる。どこかその笑顔に不信感を抱きながら、俺は屋上へ足を向けた。

帰りのホームルームでは、すっかりはクラスに馴染んでいて、ホームルームが終わったあとも何人かに"一緒に帰ろう。"と誘われていた。
けれどは誰の誘いにものらず、用事があるんだ、の一点張りで最後まで教室に残っていた。
誰もいなくなった教室に一人、ポツンと窓際から外を見下ろすを、観察していたのがバレたのか、まるでバチンと音がしたかのように目が合う。

「坂田先生は、屋上いかなくていいんですか?」
「別に毎日行ってるわけじゃねーよ、それに今日は気分がのらねぇーし?」
「私に聞かないで下さいよ。」
「おめーさんこそ、帰らなくていいわけ、用事、あんだろ?」
「……あれは、ただの言い訳です。ただ、もう少しここに居たいだけ。」
「意外と、酔狂なこというじゃねーか。」
「酔狂じゃないですよ、ただ、癖みたいなものなんです。最後まで残るの。」
「ふーん。」

じゃ、あんま遅くなんねーうちに帰れよ、と職員室に足を向けた。
最後に見えた、の苦笑いのような失笑が、あたまに焼き付いてしまった。ただ、俺はこいつを、以前から知っている。そんな確信が、心の隅に、同時に焼きついた。



職員室に戻った俺は、過去担任した生徒をひっくり返しあさってみた。
かれこれ教職について数年、担当した生徒なんてまだほんの一握りで、その生徒たちの顔や名前を忘れるなんて、さすがの俺でもないと思っていたが、なんだかのことが気になる。

「何しとるがか?金時。」
「いや、銀八だからね。一文字もかすってないよね。つーか、いつも銀八って言ってんだろ!
 見てわかんねーのかよ、担任受け持った生徒、全部ひっくり返して調べてんだよ。」
「いや、ワシがいっとるのは、なんね、そげなことしとるかっちゅー意味じゃき。」
「転入生のこと調べてんだよ。」
「転入生?……あぁ、あのっちゅー子か。」
「なんか、どっかで見た気がするんだよなぁ。」
「何をいっちょるん金時。委員長にそっくりじゃなか。」
「委員長〜?ついにあたまおかしくなりましたか。どう見たらがヅラに似てんだよ。」
「そうじゃなか。わしらが高校生じゃったころにおったろ。」
「あー、俺、なんでかしんねぇけど、そのころのことよく覚えてねぇんだよ。」
「…………。」

辰馬が憐れんだ視線を向けてくるものだから一発脳天にくらわせておいた。
ったく、もう残業する気も失せたわー、と机に沈んだ辰馬の後ろを通りながら、帰る準備を済ませ、職員室を出る。
俺は、自分でも驚くほど高校時代の記憶があやふやで覚えていない。だから時々辰馬と飲みに行った時に、昔話をされると困る。
辰馬には、「よほど、ショックやったんじゃろう。」と、何度もその話になるたびに言われてきた。高校時代に何があったんのか気になる反面、そんなショックなものなら別に思い出す必要もないだろうと、ずっと逃げてきていた。
まぁ、そのころに会った人物の中の一人に似ているというのなら、俺がに初対面だという思いを抱かないのもなっとくいける。
無理に思い出す必要なんかない、そう思って煙草に火をつける。そのままスクーターにまたがり発進させた。煙は横へ横へと流れていく。咥えた煙草の煙を時折肺に入れては出し、その煙が横へ流れるように、のことも流していこうと、そう思った。
思い出せないほどショックなことの中に、その答えがあるのなら、忘れたままのほうが幸せだ。
煙と一緒に、この疑問も流れてしまえばいい。



ガンと大きな音がして額に衝撃が走った気がした。突然開いた扉に思いっきり額をぶつけたんだ。

『あー、もう。またこんなところにいた。』
『んだよ、痛ってぇな、謝ることも知らないんですかコノヤロー。』
『サボってないで授業でなさいよ!先生に捜索頼まれるこっちの気持にもなってよ。』
『だから、今行こうとしてたんだっつーの。つーかデコあてやがったの謝れ委員長。』
『あ、本当。赤くなってる、ごめんなさい。でも授業でないそっちが悪いんでしょう。』
『はぁ!?責任転換すんなよ!』
『してないわよ!もう、教室戻るからそんなところで座ってないで、立ってよ。』
『痛みに耐えてんだよ!ったく、あんなクソつまんねー授業受けるくらいならここでさぼってたほうがまだいいね。』
『またそんなこと言って!もう、何かあったらすぐ屋上に逃げるのやめなよね!』
『はいはい、今行きますよ〜。』
『もう。』

そう言って立ち上がった。ところで、目が覚める。
そこで、どっと汗をかいていることに気が付く。俺が委員長と呼んでいた人物は、辰馬が言っていた人物と同一人物なんだろうか。夢の中では不思議に思わなかったが、顔は霞がかかったように、思い出せない。
ただ、彼女がむかえに来てくれたことが内心すごくうれしくてしょうがなかった。その思いがまだ胸につっかえるように残っている。
苦しくなって、胸のあたりの服をつかんだ。
ピピピピピピピピとなるアラームの音。夢のことが頭に残っていて気がつかなかった。もう、6時をまわっていた。
今日は珍しく早起きだ、と思いながら、シャワーを浴びるためベットを降り、出勤する準備をする。
スクーターに乗る頃には、『委員長』のことなど、頭の片隅にしか残っていなかった。



職員会議で辰馬の顔を見てから、どうしても今日見た夢のことが気になって、HRに出る気が失せた。そういう時は決まって、ひとり屋上で煙草を吹かす。
煙は上へ上へと消えていく。いい加減思い出さなければならないのかもしれない。だけど、この歳になって、そんな勇気なんかない。過去のトラウマを思い出すなんて、耐えられるものなんだろうか。
意図して消した記憶なら、思い出さず、そのままでもいいんじゃないか。
けれど、知りたいと思ってしまった。それに今朝の辰馬の顔。やけに真剣な顔をしていたと思う。

「だー、やめだやめ。」

考えてもしょうがないと煙を手で払い、思考を停止させる。ただ無心になるように、と煙を肺に迎え入れた。
そう、こうやって何も考えず、ぼーっとできる時間が俺は好きだったはずだ。
考えるのも、思い出すのもやめよう。
そろそろ教室へいかないとやつらがうるさいだろうと、屋上のドアに足を向けた。
ドアノブに手を伸ばそうとして、手が届く前にあいたドアに反応できず、額をすごい音をたててぶつける。
痛みに耐えられずその場にしゃがみこむと、ドアの向こうからひょっこり顔を出したのは、あの、だった。

「あー、やっぱりここにいたんですね。先生。」
「その前に謝れ。」
「教師がHRサボってどうするんですか、みんな待ってますよ、ほら、行きましょう!」
のせいで先生は盛大におデコをぶつけました。謝れコノヤロー。」
「あ、本当だ、赤くなってる。ごめんなさい。でも、教室戻りましょう?」
「はいはい、今…………。」
「……先生?」

なんだ、この会話。やっぱり?やっぱりって言ったよな、今。
まさか、そんなはずないだろう。頭に蘇る辰馬が言っていた言葉。
それに聞き覚えのある会話、このデジャブ感。
まさか、そんなはずないだろうと、俺の中で一つの仮説が生まれた。



その日、一日、どこか俺は上の空で過ごしていた。帰りのHRが終わって珍しく職員室へと足を運び、何をするわけでもなくただ、机に肘をついてぼーっと考えていた。
と、委員長のこと。
今朝みた夢では、俺は確実に『委員長』に恋心を抱いていたと思う。そしてその委員長と同じ行動をした。これはただの偶然なんだろうか。

「金時、ちょっとええか?」
「んだよ、辰馬。」
「これ、高校の卒業アルバムなんじゃが……。」
「あ?」

そういって辰馬が見せたのは、クラスの全員の顔写真と名前が載ったページだった。
なんとも不細工な顔で乗っている俺に、いつもどおり高笑いをしている辰馬。
それに、見知った顔が一人、そこを辰馬が指さして、俺に見せた。
柔らかい笑顔でほほ笑んだがそこに載っていた。写真の下には「」という名前。確か、うちのクラスのも下の名前はといった。
信じられない、と辰馬を見上げれば、辰馬も辰馬で真剣な顔をして口を開いた。

「委員長じゃ。」

何かが、はじけ飛んだ。
ガタン、と派手な音をたてて椅子から立ち上がり、そのまま教室へと駈け出した。

そう、好きだった。
誰も相手にしてくれない俺みたいな中途半端な不良に、いつも声をかけてくれる彼女が。
だからいつも、彼女の気を引こうとして授業をサボった。そのたびに迎えに来てくれる彼女が、委員長が、が、好きだった。
委員長のクラス写真には黒い線がはいっていて、そう、彼女は逝ってしまったんだ。まだ何も伝えられなかった、そのうちに。
下校する生徒などもういなくなった日の落ちかけた廊下を走る。幸い誰にもぶつかることもなく、離れたZ組へと全力で走る。まだ、彼女がそこにいることを祈って。
事故だった。それは、
委員長らしい、道に飛び出た子供をかばって、自分が犠牲になって。
葬式の日、死に化粧をした委員長の顔は、不覚にも綺麗で、涙があふれ出してとまらなかった。どうして、忘れたいなんて思ったんだろう。委員長があんなにもなりたがっていた教師になったというのに。

Z組の引き戸をすごい勢いで開ける。バンっと強い音がしたがそれどころじゃない。
切望した、彼女がそこにはいた。

「委員長。」

当時と同じように呼ぶと、彼女はゆっくりとこっちを振り返った。
悲しそうに、それでも柔らかな、そんな笑顔を浮かべながら。

「坂田君。」
「やっぱ、委員長だったわけ。」
「うん。」
「俺さ、あの時から言いたくて言えなかったことがあって、」
「私も、……私もね。それを伝えたくてここに来たの。」
「……好きだった。」

一瞬、委員長は目を見開くと、すぐにふんわりと香るように笑って。
消えないで、ずっとここにいて、と抱きしめたい衝動に駆られて、委員長の手を引いて自分の胸に閉じ込める。

「私も、それが言いたかったの。」

体重を預けるように寄り添ってきた委員長が、もう自分の目の前から消えてしまわないようにと、腕に力をこめて、抱きしめた。
好きだ、好きだと気持ちがあふれ出して、止められなかった。

「気づいて、くれると思った。」

委員長がす、と俺の腕の中から抜け出して、夕日を浴びながら微笑んだ。まるで捕まえてみて、というように。
俺は委員長を追いかけて、腕を捕まえて、自分のほうを向かせた。
そのまま委員長のほほに手を添えて、顔を近づけて、唇を、重ねた。

柔らかなその感触は、彼女が目の前から消えてから切望していたもの。
彼女自身とても柔らかい人だった。人望も厚かったし、いつもだれにでも優しかった。
そんな、彼女を、ガキなりに愛してた。

ふいに唇の感触が消えて、瞳を開く。ふと吹き抜けた風にのせて、委員長の声が、ありがとうが聞こえて、
溜まっていた涙が、頬を滑り落ちていった。



命懸けで愛してる!
(貴方に会えて本当に良かった)(叶うのならばもう一度会いに来て)


Thanks! 企画→初めまして、さようなら